Spicy Love


チハヤ*アカリ


 ブラックペッパー、ガーリック、バルサミコ、レッドソルト、トルーチにサフラン。
 ズラリと並べられた調味料に、アカリは口をあんぐりと開けるしかなかった。

 お昼には少し早い時間、アカリからの頼みで毎週決まった曜日にアカリはチハヤの家で彼のお料理レッスンを受ける、それがお互い習慣的になってきている、そんな午前中。

「…気付いたら、増えてたんだよね」
 実に子供っぽい言い訳じみた口調で、肩を竦めてチハヤは言った。今朝からちょっと不機嫌そうだったのに加えてその仕草だから何処か幼く見えて仏頂面でも可愛らしさを感じてしまう。
「へぇ、すごくたくさんあるんだね!…ね、チハヤはこれ全部使うの?」
 彼のそんな様子にちょっと嬉しくなって優しい気持ちで疑問を口にした。
「…そりゃあ、一つの料理に全部を使うわけじゃないけど、こういうスパイスは料理の隠し味にも使えるし一つ一つの出番は少なくないわけじゃないよ」
「それでも多いなぁ、私の家にこんなに調味料ないもん」
 料理人の家だからと言ってしまえばお終いではあるが、この調味料の多さは何処か彼の趣味が混じってるとも思える。
 ざっと80種類くらいはあると思うよと言う彼に、さらに目を丸くしてしまう。
 付き合う前から彼に料理を習うことは暫しあり、その頃から彼の自宅の調味料の数は多いと思っていたが、アカリの想像以上に彼のキッチンには調味料が潜んでいた。
「こんなにあったら迷いそうだね」
「そうでもないよ、味見した時に足りない味があったら足すって要領で行くと結構いろいろ使ったりするもんなんだ」

 要するに料理人の勘次第なんだろう。
 アカリは自分にはお手上げだとばかり両手をあげると、ずっと不機嫌そうだった顔が和らいで少し擽ったいような表情でクスクスと笑われてしまった。

「大丈夫、徐々に慣れて行けばいいよ」
 ほら、早くエプロン着ておいで。
 優しい声色で、彼の家に置いているアカリのエプロンを取ってくるよう促した。彼のお料理教室が始まる時にいつも決まって使う言葉だ。
 今朝から不機嫌な理由は聞けなかったけど、どうやらそこまで気にする必要もなさそうだ。
 少しほっとしてアカリは言われるがまま彼と揃いのロゴマークが入った自分のエプロンを取りに行った。


***



 ぽちゃんと鍋をかき混ぜたオタマから水滴がはねる。
 今回のチハヤのお料理教室は旬の野菜をたくさん入れ込んだスープだと言う。
 具材を全て切り終え、それを浸すように水を入れて大雑把な味付けをし、ひとまず沸騰を待つ、というところで一休憩用にチハヤに飲み物を渡された。
 ぼんやりと鍋を眺めながらアカリは一口飲む。

(そういえばこのオレンジジュース、今日私が持ってきたんだっけ)

 元々料理以前に手先が不器用だったアカリが、ここまでスムーズに進むようになったのはひとえにチハヤのこのお料理教室のおかげあるのは間違いない。
 しかし彼に教えて貰うまでの道のりも同じように長かった。元々彼は他人に友好的なタイプでもなかったしアカリは新米牧場主。信頼を得るために畑と牧畜の両方を優先的に努力したのは結果的に言えば良かったのかもしれない。彼が初めにアカリに興味を示したのはアカリが懸命に作った作物だった。その時は料理人としてではあったが、キッカケといえばキッカケだ。
 そして、一番彼と親密になるキッカケを生んだのがこのオレンジジュースだった。たまたま買った苗で育てた実で、たまたまジュースにしたのを、またま彼にプレゼントした。そんな“たまたま”の重なりで彼の元へ渡った物だったが、その偶然が案外、功を成すもので。つっけんどんだった彼が初めて笑って「どうして僕の好物を知ってるんだい?」なんて喜んでくれたのだ。その時ほどアカリの心が揺さぶられた物はない。
 物思いに耽って出会った頃を逡巡と巡らせていると、ふいに横からまた不機嫌そうな顔が覗き込んできた。

「なにボケっとしてるのさ、ほら、湧いてきたよ」
「あっ本当だ、ごめん」
 慌てて覗き込んだ鍋の中は、ポコポコと丸く上がってくる大きな泡となった蒸気が沸騰を主張していた。
 アカリは慎重に慎重にと彼をこれ以上不機嫌にしないように手順を確認しながら鍋を軽く混ぜ、火を弱める。
 いつだったか、鍋の火を調節し忘れ、沸騰の勢いにのった中身を鍋の外へ噴き出させてしまったのもアカリの記憶に新しい。そして当然、チハヤのお得意の毒のあるマシンガントークで怒られてしまったわけで。ちょっと思い出したくない程度には怖かった。

「よし、あとは仕上げの味付けだけだよ。試しに君がやってみて」
 本日はまだそのマシンガントークをこの口からは出てこないが、いつ自分が彼の琴線に触れてしまうかわからない。どうにか収まったと思った不機嫌も戻ってしまったようで内心ドキドキではあった。
 そんなアカリの緊張は余所に、あの色とりどりに並べられていた大量の調味料からいくつか選んだものをチハヤから手渡される。
 今回の最難関と言っていい佳境に思わず唸ってしまう。

「大丈夫さ、その中のものなら失敗ないし。少しずつ足して行って君好みの味になるようにするだけだから」
 緊張の余り、チハヤが不機嫌ながらもいつもより優しいなんて思う余裕もなかった。
 とりあえず、わからないながらもチマチマと調味料を足し、味見をし、さらに足す。一連の動作を繰り返しながらもなんとか自分でも納得できる味付けになったところで彼を見やると、そこには変に神妙な面持ちの彼の顔があった。
 妙に可笑しくて笑いを堪えきれないまま「これでどうかな」と声を掛けると人の機微に鋭い彼はすぐさまいつもの不機嫌顔に戻すとアカリの額を突っつき、その手でオタマをアカリから受け取ると小皿に移して口をつけた。


「……どう?」
 味の評価を待つ時はいくら経っても慣れない。
 長くて焦れったいのに、言うのはもう少し待って欲しい、そんな時間だ。
「……辛い。唐辛子、入れすぎなんじゃないの。他の調味料の味、消してるし」
 静かに紡がれた言葉は失敗を表す言葉。「えー」という言葉より「やっぱり」という気持ちが強かった。
「うーん、ちょっとだけシーラに教わった味付け目指したんだけどな?、やっぱり一回教わっただけじゃダメか…」
 ちょうど一昨日になるだろうか。シーラが実家に帰るようになってから初めてそちらの家に一晩呼ばれたのだ。その時に同じスープ料理をご馳走になったのだがその時シーラに彼女の故郷風の味付けを少し教わったのだがやはり再現は難しかったようだ。

「シーラの家の味はもっと香辛料のバランス良い筈だよ。一つの調味料に頼りすぎ」
 それはごもっともな正論なのでアカリはウッと言葉を詰まらせる。

「……でも、これはこれで良いんじゃない?妥協出来るくらいにはいいと思うよ」
 意外にも続く言葉はお褒めの言葉であった。つまり今回は合格という事だろうか。
 アカリの顔に喜びの色が入るのを見て、居心地が悪くなったのかふいと顔を逸らされる。
「だけど、次は僕に聞いてよね。シーラなんか素人じゃなくて、さ」

 僕だってあの味の再現は出来るし。教え方だって上手い筈だし。

 尻すぼみになっていく取って付けたかのような言い訳の言葉で、アカリは今日の彼の動向に合点が行く。

ーーああ、朝から機嫌が悪いのはこれか。

 あはは、と耐え切れず口にだした笑いに流石にわかりやすかったかとチハヤが少し顔を紅くして眉間にシワを寄せる。今更そんな表情をしたってもう遅い。拗ねてる顔がこんなにも愛おしく思えるなんて。

 そうだね、わかったよ。次はチハヤに頼むね。

 思いっきりにやけた顔は元に戻りそうにはない。気持ちが舞い上がるまま、彼の柔らかくて癖のある髪に手を伸ばし、二、三撫でるように動かす。抵抗はなかった。

「チハヤ、妬いたんだ。かわいい」
「うっさい」
 まるで子供のようだと思いながらアカリはチハヤを見つめると、ずっと逸らされていた彼の宝石のようなスミレ色の目が突然こちらを捉えた。
 
相変わらず綺麗な瞳だ、なんてのんびりとそんな事を考えながらすっかり油断していたアカリは、彼の目に熱が孕んでいるのに気づかなかった。  
しまった、と思った時にはもう既に腕を掴まれてしまつまていて、そのまま引っ張られる。
「…わっ何す…!…っんん」
 何するの、と言い切る前にその唇ごと飲み込まれる。  
少し強引な口付けにアカリは某然とするしかなかった。
 何が起こったのかアカリの頭が処理しきらない内にチハヤが濡れた唇から艶かしくちろりと舌を出す。
「…確かに、君はスパイスが強めだよね。でも、」

 そこが好きだよ。

 耳に息がかかるようにして囁かれた言葉に一気に身体中に熱が回る。


「ち、チハヤ!」
「そんなに紅くして怒らないでよ」
 仕返しだとばかり手をひらひらされる。
 そんな余裕そうな顔が少しむかつく。
 
さっきまでそっちが照れていたのに。
 「ほらほら、冷める前に食べるよ」なんて料理をよそいだした彼の背中に逃げ場を失った恥ずかしさでアカリはぺしぺしと叩いて高鳴る動機を抑えようとした。
 この人はいつだって心臓に悪い。





- Fin -

10000hit企画のリクエストの「チハアカで料理を二人でしてるの」でした!
お時間かかったうえ、リクから少しそれてしまいました、ごめんなさい…!!
料理シーンは一瞬でしたが、アカリの料理の腕は全く料理をしてこなかっただけでやれば出来るというレベルだと思ってます。笑
リクエストありがとうございました!